易経と禅の教え

易経の「中庸」という考え方を理解するうえで、禅の教えは参考になる。

日本の臨済宗の教本である「臨済録」から、易経の思想を考えてみたい。

易経の思想的流れを受け継ぐ中国の禅の教え

日本を含め、中国の思想は東アジアに大きな影響を与えてきた。それは易経だけではない。
日本を含め、中国の思想は東アジアに大きな影響を与えてきた。それは易経だけではない。

易経はその成立起源が定かではない。

しかし易経の根底に流れる考え方は、中国の思想に大きな影響を与え、さらにはさまざまな形で東アジア世界に大きな影響を与え続けてきた。

易経と中国や東アジアの思想の関係と、その思想が現代に生きる私たちにとってどういった意味をもたらすか考えてみたい。

易経の根本理念

易経の根本理念である「中庸」は、現代にも当てはまる重要な観点である。
易経の根本理念である「中庸」は、現代にも当てはまる重要な観点である。

易経占いを自分で何度か行ってみると、私たちはそこに原則が存在することに気づく。

易経の原則とは、「中庸」という概念である。

この考え方は、簡単そうでいて難しい。

グーグルのAIで「中庸」を調べると、次のように解説される。

中庸(ちゅうよう)とは、儒教における中心的な概念の一つで、極端に偏らず、過不足なく調和がとれている状態を指します。

具体的には、物事の考え方や行動が一方に偏らず、中正で、バランスが取れている状態を表します。

中庸は、単に平均的な状態を意味するのではなく、状況に応じて適切な判断や行動を選択することを重視します。

例えば、勇気は過剰であれば無謀、不足すれば臆病になりますが、中庸はそれらの両極端の中間にある適切な状態を指します。

中庸は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが説いた「メソテース(中間)」という概念にも通じ、欧米でも「Golden Mean」として知られています。

中庸の精神は、個人だけでなく、社会や国家の関係においても重要であり、バランスの取れた社会を築くための指針となります。

少し補足すると、易経における「中庸」とは、私たちの「態度」に関することである。

次のようにイメージしてみるとよい。

あなたは、広い空間の中央に立っている。

あなたに様々なことが起こる。

右からあなたに向けてボールが飛んでくるかもしれない。

後ろから自転車があなたに向かって突進してくるかもしれない。

前から洪水があなたに迫ってくるかもしれない。

なにが起こるのかはまったく予測はできない。

しかし、どんなことが起こったとしても、あなたはうろたえることなく、状況に応じて対処しなければならない。

どんな状況が起きても、柔軟に対応できるそのあなたの状態を、「中庸」と呼ぶ。

中庸とは、固定観念がない状態

私たちは一つのことにとらわれると、全体が見えなくなってしまいがちだ。
固定観念。先入観。思い込み。私たちは一つのことにとらわれると、全体が見えなくなってしまいがちだ。

あなたが、あらゆることに柔軟に冷静に対応できるためには、固定観念を持ってはならない。

「右からボールが飛んでくる」とあなたが思っていると、ボールは左から飛んでくるかもしれない。

前後左右に気をつけねばならない、とあなたが思っていると、真上から石が落ちてくるかもしれない。

「中庸」な状態を得るためには、固定観念をすべて捨てる必要がある。

「どんなことが起こっても、慌てることはない。状況に応じて対処する」というのが「中庸」の意味である。

易経占いにおいては、基本的に今のあなたが「中庸」かどうかが問われる。

易経占いの結果は、「中庸」を基準に判断が下される。

あなたがどういう状況に対しても対応できるのであれば、現在の運が悪くても、易経は未来に対していい判断を下す。

私たちが易経占いを行うことは、私たちが「中庸」であるかどうかを確認する作業なのである。

易経は、私たちが占うことを通じて、私たちに「中庸」という概念を考えさせる書物である。

あらゆるこだわりから開放された状態を易経は目指している。

易経占いは、3000年以上前から行われてきている。

仏教やキリスト教以前の時代の人生観が易経には反映されている。

易経と「中庸」、道教と「無為」

易経は、中国の春秋時代に占いのテキストとして確立された。

この時代、中国は周という国を中心に、多くの都市国家が連合しており、非常に複雑な政治抗争が繰り広げられていた。

易経にある「中庸」という考え方は、こうした時代の中国で成立してきたものである。

この当時の時代背景は、周の王室が力を失い、臣下の諸公国が政治や軍事の主導権を巡り争いを繰り返していた。

それはやがて戦国時代へと移行していく。

未来予測が困難なこの時代において、いかなる状況にも対応できる生き方を模索した結果として「中庸」の思想が生まれてきた。

「中庸」は非常に現実的な考え方である。

老子
老子は道教の始祖とされる。紀元前6世紀くらいの人物である。
不明 - https://www.meisterdrucke.us/fine-art-prints/Chinese-School/420939/Lao-Tzu-%28c.604-531%29-on-his-buffalo%2C-followed-by-a-disciple-%28wc-on-paper%29.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=142844114による

しかし一方では、この時代には「中庸」と並行して、人間社会そのものから超越した生き方としての「無為」を目指す「道教」の思想も発生している。

老子を始祖とする道教の「無為」は、易経の「中庸」とは根本的に異なる概念である。

「中庸」は、現実に対する人間の生き方を追求した結果生まれてきたが、道教の考え方では現実そのものから超越して、原始時代のような無垢な生き方を目指すことに重点が置かれている。

易経の「中庸」が現実的であるのに対し、道教の「無為」という考え方は現実逃避的であるとも評価される。

易経はやがて「中庸」の考え方とともに儒教の中に取り込まれていった。

儒教は古代中国のアカデミズムであり、政治学であり、教養であった。

それに対して、道教は農民や商人などの間に浸透していき、中国の神話や民間伝承と密接に混ざり合った。

道教は根本的に政治や国家や経済という人為的なものに対する強い嫌悪感を内包している。

やがて道教は五斗米道や太平道といった宗教団体の根本思想となり、国家に対する大規模な民衆の反乱を引き起こすようになった

道教は人間界の人為的システムそのものを否定するという点で過激な思想だ。

現実に従事しつつ処世の道を求める儒教の「中庸」とは、全く異なる性質を道教は持っている。

易経の中にある「中庸」と、道教が説く「無為」は、対照的な思想である。

だが、この二つの思想が、ある時期から融合し、独特の中国的な哲学に変化した。

それが中国仏教の「禅」である。

中国仏教としての禅宗

半跏趺坐。タイの僧侶
半跏趺坐。タイの僧侶
ผู้สร้างสรรค์ผลงาน/ส่งข้อมูลเก็บในคลังข้อมูลเสรีวิกิมีเดียคอมมอนส์ - เทวประภาส มากคล้าย - 投稿者自身による著作物, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16568127による

みなさんは、「禅」という仏教の宗派についてどの程度ご存じであろうか。

アップルの創業者スティーブ・ジョブスは禅宗に傾倒しており、曹洞宗の仏教徒であったことはよく知られている。

日本では曹洞宗と臨済宗が代表的な禅宗である。

「座禅」を徹底する宗派は曹洞宗である。

一方で臨済宗は座禅もするが、座禅したからといって仏教の核心はわからない、とする。

日本の臨済宗は、鈴木大拙などの多くの優れた僧侶を輩出してきた。

ところで欧米では、禅宗は日本仏教の代名詞のように思われている面があるのだけれども、禅宗はもともと中国仏教なのである。

禅宗の始祖は、達磨(ダルマ)という人物である。

達磨の経歴や素性は不明点が多いが、五世紀終わりころに西域から中国にやってきたインド人の僧侶だったらしい。

達磨は、座禅して瞑想し、一人一人が自分の存在の意味を知ることを推奨した。

ここで、仏教になじみが少ない文化圏の人に、少し解説しておこう。

仏教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの聖書系統の「一神教」とはかなり異なる。

仏教には、聖書やコーランのような根本経典は存在しない。

仏教は人間の意識を「悟り」と呼ばれる境地に導くことを目的とした宗教である。

そこに至る方法は無限にある、と仏教では考える。

仏教では絶対的な神は存在しない。

仏教は個人の意識変革がすべてである。

神とのかかわりで仏教の目指す境地に到達するわけではないから、仏教では絶対神という概念がない。

そういう点で仏教は欧米のキリスト教社会に育った人たちには理解しづらい宗教かもしれない。

仏教は宗派によりスタイルはさまざまであるが、座禅による瞑想は自己対話という仏教の根本に位置するスタンダードなスタイルの一つだ。

達磨はイラン出身だったとも、南インド出身ともいわれる。

座禅と瞑想を中心とする彼の仏教のスタイルはインドではヒンドゥー教にもみられるありふれた求道者のスタイルだ。

現在でも、東南アジアではこのスタイルの仏教徒が多い。

達磨は520年に中国南朝の粱にやってきて、粱の武帝と面会した記録が残っている。

やがて、嵩山少林寺で壁に向かって座禅をする日々を送り、次第に弟子が増えていった。

みなさんは、カンフーアクション映画で登場する「少林寺」が、達磨に由来する仏教寺院で、今も中国禅宗の一つ、曹洞宗の総本山であることをご存じであろうか?

それまでも中国には様々な経路から仏教は入り込んでいたが、どちらかと言えば政治目的としての文化教養の側面が強かった。

達磨が中国に来た頃、中国は北と南で異なる王朝が並立する南北朝の動乱の時代であった。

北朝の北魏も、南朝の諸王朝も、当時民間の新宗教として流行した仏教を保護する政策をとった。

異民族が侵入し、動乱が続いた南北朝時代においては、民衆をまとめるために宗教を利用する必要があったのだ。

粱の武帝も、統治政策の手段として仏教を保護していた。

達磨の説く仏教は極めて求道者的で、政治的に仏教を利用しようとする粱の武帝の好みには合わなかったといわれている。

達磨は、仏教本来の「意識変化」を最重視したため、粱の武帝には達磨の言うことが理解できなかったらしい。

禅宗は、達磨の弟子たちから自発的に広まっていった。

やがて7世紀から8世紀にかけての唐の時代、禅宗はポピュラーな仏教として中国全土に拡大した。

興味深いことに、この過程で禅宗は中国的な要素を取り込み、中国式の仏教として完成されていった。

日本には、13世紀に中国の禅宗である曹洞宗、臨済宗が伝わり、現在も多くの禅宗寺院がある。

スティーブ・ジョブスが信仰した日本の曹洞宗は、13世紀に道元によって中国からもたらされたものだ。

中国ではその後、動乱を経て禅宗は少数派となってしまったのに対し、中国から日本に渡った禅宗は今もなお中国からもたらされた古いスタイルに基づいて活動している。

日本の観光地である鎌倉は、文化財となっている仏教寺院のほとんどが臨済宗の禅宗様式で建設された仏教寺院である。

禅の教えから易経を考えてみる!

円覚寺山門
円覚寺山門
Tsuyoshi chiba - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=125074575による

易経の「中庸」の考え方は、わかりづらい。

だが、少し角度を変えると、わかりづらいこともよくわかるようになることは多い。

今回は、一見、易経とは関係なさそうに思われる禅の教えから易経の核心である「中庸」という思想を考えてみたい。

臨済宗という中国的な仏教

臨済義玄
臨済義玄曾我蛇足
Soga Jasoku (fl. c. 1300) - http://www.dabase.org/linchi.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3276946による

日本の臨済宗には、「臨済録」というテキストが伝わっている。

臨済宗とは、臨済義玄(生年不詳 - 867年)という僧侶の系統の禅宗である。

この仏教宗派は特色を持っている。

臨済義玄は言う。

仏教の目的である意識の変容のためには、座禅も不要、経典も不要である、と。

そうした形式的なことで自己満足を得たとしても、仏教が目指す意識変化には到達することはできない、と。

では、どうやって仏教が目指す意識の変化に到達するのか?

そもそも、仏教が目指す人間の在り方はなんなのか?

臨済録においては、教義の核心は一切語られていない。

それは言葉にして説明しようとすると伝えられない、と臨済義玄は言う。

臨済録は、臨済義玄とその弟子たちの言行録であり、それらを通じて読むものが「感じる」ことで臨済義玄が目指したものに気づく、というのが臨済宗である。

臨済録のなかで、臨済義玄は思いもよらぬやり方で弟子たちを試す。

弟子たちが頭で考えた小賢しい言動をとると、臨済義玄はすかさず棒で殴ったり、怒鳴りつける。

弟子たちは臨済義玄の真意がわからず、戸惑う。

臨済義玄は弟子が戸惑えばすかさず殴る。

戸惑うということは、物事を小賢しく頭で考えようとするからだ、と臨済義玄は言う。

頭で考えず、自然体で答え、行動しろ、と臨済義玄は繰り返し説く。

こうしたやりとりが臨済録では延々と続いていく。

臨済義玄は弟子たちが小賢しく頭で考えようとしているのを、殴ったり怒鳴りつけることで指摘しようとしているらしい。

では、どうしたら臨済義玄の目指す人間の在り方に到達できるのか?

臨済義玄に気に入られようと弟子たちが頭で考えるほど、臨済義玄は弟子を殴る。

だが、弟子がその人らしく自然に答える場合は臨済義玄は満足のようだ。

こうした臨済録のやり取りを通して見えてくる臨済宗の目的とは、ありのままに自分らしく、いかなる状況が発生してもそのつど柔軟に対応する人間の心の働きである。

それは、道教が提唱する「無為」、すなわちありのままの誇張のない状態で、易経の提唱する「中庸」なあり方を実践するということらしい。

臨済宗の禅は、相反する思想である儒教と道教がミックスされた人間の生き方を目指しているように見える。

臨済宗は中国の思想的な伝統のなかで確立されたユニークな仏教である。

臨済録の小話

臨済義玄がどのような人物だったのか、臨済録のなかからの話を紹介しよう。

臨済義玄は、もともとは黄檗という禅宗の指導者の弟子であった。

あるとき、臨済義玄の師匠の黄檗が炊事係とこんなやり取りをした。

炊事係が米に混ざった石を拾う作業をしていると、黄檗がやってきて尋ねた。

「この寺では、一日にどれくらい米を食べるのか?」

炊事係は、「二石五斗食べます」と答えた。

黄檗「多すぎるのではないか?」

炊事係「いえ、少なすぎると思います」

その瞬間、黄檗は炊事係を殴った。

炊事係はこのやり取りの様子を臨済義玄に話した。

臨済義玄は、今度は俺が師匠を試してやろう、と言って黄檗の部屋に行った。

臨済義玄「炊事係は先生の言うことがわかっていません。先生ならば、食べる量が多すぎるのでは?と尋ねられたら、どのように答えますか?」

黄檗「お前たちはどうして、明日もまた米を食べます、と答えないのだ?」

臨済義玄「今日も明日も関係ない!今すぐ食え!」

臨済義玄はそう言って黄檗を殴った。

黄檗「このキチガイめ!また虎のひげを引っ張りにやってきたな!」

臨済義玄黄檗を怒鳴りつけると、部屋から出ていった。

しかし、黄檗は臨済義玄に殴られたことに満足しているように思える。

寺で米を食べる量が多いか少ないかを黄檗は炊事係に尋ねている。

炊事係は、黄檗に質問されて、頭で計算して数学の解答を出すように答えた。

黄檗は炊事係を殴った。

なぜならば、炊事係は黄檗の顔色を見て、頭で考えて答えたからである。

しかし黄檗も、臨済義玄に尋ねられて、頭で考えた解答を無意識的にしてしまった。

臨済義玄は黄檗が頭で考えたことを指摘すべく、黄檗を殴る。

黄檗はこれを無礼な行為だと捉えていない。

臨済宗では、殴ったり怒鳴りつけたりを互いにしあう。

そうすることで、互いが頭で考えている部分を指摘しあう。

そうすることで、人まねではない自分らしさを追求しあう。

またどんな状況でも柔軟に自分らしくふるまえる中庸な状態にあるかどうかを確認しあうのである。

座禅による瞑想は、東南アジアの仏教では今も非常に重視されている。
座禅による瞑想は、東南アジアの仏教では今も非常に重視されている。禅宗は東南アジアの仏教と似ているが、同じではない。臨済録を読むとその違いが分かるような気がする。

もうひとつ、例を挙げておこう。

臨済録には、普化という僧侶が登場する。

普化は臨済義玄の弟子であるが、臨済義玄を凌駕する禅宗の理想的な存在である。

普化は、毎日路頭に立って鈴を鳴らしながら独り言を言っていた。

「出来事が、明るいほうからやって来るならば明るい方法で処理し、出来事が暗いほうからやって来るならば、暗い方法で処理する。出来事が四方八方からやって来るならば、つむじ風のように処理し、見えないところからやって来るならば連続攻撃で処理する」

臨済は秘書を派遣して、普化に尋ねさせた。

秘書「それらのどれにも当てはまらないところから出来事がやってきたら、お前はどうする?」

すると普化は、それには答えずにこういった。

「明日は、出張先の寺でセレモニーがあるから、うまいものが食えるんだ!」

臨済はこのやり取りを秘書から聞いて、こう言った。

「私は、普化がただものでないと思っていたが、やはりあいつはただものではない」

普化が路頭でつぶやいていることは、「中庸」の在り方そのものだ。

どんなことが起ころうと、状況に合わせて対処する、と普化はつぶやく。

臨済は、そうした「中庸」が成立しない状況だったらどうするのだ?と普化に尋ねる。

「中庸」が成立しない状況?

これは、頭で考えた架空の状況だ。

だが、普化は、頭で考えた質問にはもう答えない。

今の自分のありのままの内面をつぶやくだけだ。

それは道教で提唱される「無為」である。

明日は、美味しいものが食べられるから楽しみだ、と。

臨済義玄は普化の回答に満足しているようだ。

私たちは普段、頭で考えて生活している。

私たちが暮らす社会は、多くの人と共存が必要だ。

私たちは互いに相手のことを考えて頭を使って生活しなければならない。

生活の糧を得るためには計算高くなければ仕事にならない。

だが、そうした状況が続くと、次第に私たちは自分が何者であるのかがわからなくなってしまう。

他者に気を遣い、仕事上の立場を守り、自己保身に明け暮れる毎日を送るうちに、私たちはなにをしたいのかが分からなくなる。

自分が何者なのかもわからなくなる。

こうした状態を、私たちは「道に迷った状態」と表現する。

臨済録に出てくる小話は、頭で考えることや、計算高く生きることをすべて否定する。

「あなたは、どうしたいのか?どう考えるのか?あなたは何者なのか?あなたの正直な言葉で言ってみなさい」というのが臨済録の宗教観である。

ここでは、善人もなければ悪人もない。

誰もが、自然体で自分らしくあらねばならない。

そして、一切の固定観念を捨てなければならない。

そうでない者は、容赦なく殴られる。

固定観念を放棄した先にあるものは?

固定観念を捨てた時、私たちはなにをよりどころとすればいいのか?
固定観念を捨てた時、私たちはなにをよりどころとすればいいのか?

私たちは、固定観念で形作られた世界で生きている。

人間界はすべてが固定観念でできている。

法律や道徳は、固定観念による私たちの共通認識だからこそ機能する。

貨幣もそれがあらゆるものと交換できるという共通認識があるから価値がある。

しかし貨幣そのものは、もしあなたが砂漠や無人島にいたらなんの役にも立たない。

「お金こそすべて」という考え方は、固定観念に過ぎない。

社会は、あらゆるものが約束事で成り立っているから運営できる。

だが、私たちが行き詰っていたり、道に迷っている場合は、そうした固定観念から離れる必要がある。

易経が提唱する「中庸」は、固定観念の否定である。

だが、固定観念という社会的な価値観を否定した場合、私たちはどこに自分の中心点を設けたらよいのだろうか?

中心点がなければ、私たちはそもそも行動の基準を持つことができない。

これまであなたの中心点であった固定観念を捨てた時、あなたはどこに中心点を置けばいいのだろうか?

これは非常に重大な問題である。

だが易経の中では、固定観念を捨てた場合に私たちが新たに設定すべき生き方の中心点については書かれていない。

臨済宗の考え方は、易経だけではわかりづらいこの点に焦点をあてている。

臨済宗では、固定観念を否定したうえで、ありのままの自分らしさを回復させることを重視する。

私たちは誰もが個性を持っている。

個性は私たち一人一人によって異なっている。

自分らしくない生き方をしていれば、私たちは個性を十分に生かすことができず、いいパフォーマンスができない。

私たちが自由に生きていくためには、自分らしさを大事にしなければならない。

自分らしさと自由

自分らしく生きる、ということは簡単そうでいて、困難が多い。
自分らしく生きる、ということは簡単そうでいて、困難が多い。しかし、生き方に迷うとき、私たちは自分の個性に忠実になるべきだ。

易経占いでは、「中庸」を失っていると、厳しく警告する結果が出る。

易経で何かを占って、結果が非常に厳しい場合、私たちは現在の状況を根本的に見直さなければならないけれども、多くの場合はあなたが現在捉われている固定観念をまずは捨てる必要がある。

たとえば、あなたが今、銀行からの融資を前提にビジネスを拡大することを考えていて、易経占いをしたら非常に厳しい結果が暗示されたとしよう。

あなたは、もしかすると、「銀行の融資を受ける以外に方法はない」と考えているかもしれない。

そうだとすると、易経は厳しい判断を下す。

「方法が一つしかないと思い込む」状態は「中庸」ではないからだ。

臨済録の小話で普化がつぶやくように、「出来事が、明るいほうからやって来るならば明るい方法で処理し、出来事が暗いほうからやって来るならば、暗い方法で処理する。出来事が四方八方からやって来るならば、つむじ風のように処理し、見えないところからやって来るならば連続攻撃で処理する」ことが「中庸」だ。

固定観念を捨てて、自在に行動できるのでなければ、易経はいい見通しは告げない。

だが、自由とはいったいなんであろうか?

自由とは制約がないことを意味する言葉であるが、制約がない生き方など世界には存在しない。

なんでも自由にやってよい、と言われたとしても、背が低い人が背を伸ばすことはできないし、欲望を実現するために人を殺すわけにはいかない。

易経の「中庸」が求める自由とは、固定観念に縛られずに自分らしく行動することを意味する。

この点を、道教の「無為」の概念を取り入れて発展させたのが臨済宗であるように思う。

臨済録に書かれている小話で、臨済義玄は「自分らしくない」言動をする者を問答無用で殴る。

自分の言葉で話さない弟子は、臨済義玄に何度も何度も殴られる。

ここでの「自分らしさ」は、道教の「無為」と非常に近いように見えるが、道教本来の「無為」を「自分らしさ」に特化したのが臨済録に描かれる「無為」であるように思われる。

あらゆる固定観念から開放されたとき、最後に残るのは自分の個性だ。

私たちは個性にこそ新しい中心点を置くべきだ。

自分の能力や適性に合わぬことを、社会的評価のためにやっている人は多い。

社会的評価は固定観念で構成されている。

もし、あなたが社会的評価のために金融関係の仕事をしているとしよう。

固定観念を捨てた時、土を耕すことがしたければ、農業をすればよい。

もしあなたが営業の仕事をしているとして、固定観念を捨てた時、小説を書いてみたいならば書けばいい。

自分らしいことならば、私たちは自由に行動できるはずである。

いつから?

いつでもできる。

年齢は関係ない。

臨済義玄ならば次のように言ってあなたを殴るだろう。

「今日も明日も関係ない。今すぐ始めろ!」

臨済録の中では、易経で示されている「中庸」と、道教が目指す「無為」とが見事に溶け合い、一つの思想を形成して躍動している。

角度を変えて考える!

人間界の本質は、実は不変である。
人間界の本質は、実は不変である。一見、異なる分野からでも、本質に到達できる場合は多い。

中国文明については、「吸収と融合の文明」である、と言われることがある。

3000年前から、中国の中心地域は様々な民族が混ざり合ってきた。

この文明は、特徴として、漢字を使用する。

漢字を使用して中華系言語を話し、食べ物や生活習慣を受け入れるならば仲間として認められた。

ここでは遺伝子的な人種はあまり関係ないといわれる。

実際、初めての統一帝国を実現した秦の始皇帝は、瞳の色が青かったといわれている。

同様に、この文明は、外部から入ってきたものを取り入れて融合させてきた。

台湾の道教寺院に入ると、そこには様々な神々が祀られている。

黄帝や神農など中国の伝説上の神々もいるし、華南地方で信仰される媽祖もいるし、関羽もいるし、さらには阿弥陀如来など仏教の神々もいる。

これが中華文明の壮大で偉大な点だと思う。

インド方面から達磨がもたらした仏教はここで、元々あった「中庸」の思想や「無為」の思想と溶け合い、独特の禅宗となった。

中国仏教としての禅宗はハイブリッドな宗教といえる。

しかし、単独では実際の人間生活にあてはめるのが難しい「中庸」や「無為」の思想がハイブリッドとなることでより私たちにとって理解しやすくなっている。

このブログは易経を取り扱っている。

でも、易経だけを論じても、易経の思想はなかなか理解できない。

易経は、易経の専門書を読まねばわからない、とあなたが考えているとすれば、それは固定観念に縛られているに過ぎない。

仏教は、核心に至るための手段は無数にある、と考える。

これは、仏教に限らず、あらゆることに当てはまると私は考えている。

もともと私は学者ではないので、アカデミックな固定観念に縛られない立場にある。

何事でも、理解のきっかけは無数にあると私は考えている。

固定観念を捨てよう!

私たちはあらゆることから学ぶことができる。

仕事で顧客とかわしたわずかな会話から、重要なことに気づくこともある。

一見、無関係のように見えて、核心が同じことは多い。

臨済宗の考え方も、易経や儒教とは全く異なるように見えて、核心は同じかもしれない。

ただ、核心に光を照射する角度が異なるだけなのかもしれない。

そのように私は考えているので、今回は禅宗、特に臨済宗について取り上げてみた。

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